仕事で現場、本でも現場


「あるノルウェーの大工の日記」を読みました。
まさに大工の日記。大工の日々がとても素敵に語られています。

国は違えど大工は大工。同じだなぁと感じることも多いです。
フリーランスの大工であり、直接、お客様から依頼を受けて仕事している。現場だけでなく事務仕事に追われ、見積もりに頭を悩ませ。
受注した時、安堵するとともに、プレッシャー、不安が迫る。

同じく北国の大工であり、寒さに耐え、それでいて、手袋が苦手なところも同じだったりします。

ただ、ノルウェーの大工さんは大工歴25年以上の大先輩。
現場の進め方、養生の仕方など参考になりました。勉強になります。

ノルウェーの大工は、土日休みのようです。うらやましい。
それでも事務仕事に追われ、なかなか2日休みとはいかないようですが。。あと、お客様のところのキッチンだけでなく、シャワーを借りるのはかなり衝撃的です。

一番心に残ったのは、「手を動かす仕事よりもアイディアの方が価値が高いことは、抽象的な理論や理屈を重視する社会では当然の結果だろう。現場での作業が埃っぽくて混沌としているいっぽう、アイディアは純粋で汚れのない感じがする。」というあたりの知的労働と肉体労働のおかれる立場の違いが描かれているところです。

図面に描かれた線。美しく完璧な線。

それを、ぼくたち肉体労働者は、埃に紛れ、高いところに登り、日々、小さな傷を作り、寒さに震え、重い物をもち、有害なガスや粉塵の中、その線を実際に作っています。Before/Afterの中間にいるわたしたちは、完成してしまえば存在しない、見えない部分にいます。

作業着の時にしか感じることのできない”現場作業者”に向けられる独特な視線。
汚いもの、怖いもの、邪魔なもの、迷惑なもの。
大きく迂回するように距離を置いて通り過ぎる人の動き、できるだけ距離を置いて会計処理をする店員。

もちろん、好意的なことも多いですし、ぼくは恵まれた環境にいると思います。
しかし、一歩外に出れば、だたの”現場作業者”でしかありません。
(ぼくの場合、実際に、ひどく汚い格好をしているので、しょうがないと思ってますが。。。)

これから先、知的労働がAIに置き換わるのか。肉体労働がロボットに置き換わるのか。
それはわかりませんが、肉体労働の社会的な地位や価値が上がることはなさそうです。

ただの職人なので目の前の仕事をするだけです。
価値や地位とかで選んでません。好きだからしょうがないです。

と言えるのが一番かっこいいと思うので、とりあえず、そういうことにしておきます。