PM 3:30 夕方のshandi nivas cafe’
朝は、まだまだ寒いけど日が長くなってきた2月。
春はまだ先だけど、春を意識するようになってきました。
作った台座も空間に馴染んだ気がします。
はじめてのフィルムカメラ。
若い頃は、フィルムのカメラしかなかったから、正確には初めてではないけど、ただボタンを押せば写真が撮れるとかフィルムの交換も自動のものしか使ったことがありませんでした。
最初のフィルムは、もう巻き終わったと思って、蓋を開けてたら、フィルムがまだ残って、「入っとる!!!!」と速攻で閉めた。
失敗したなー。これってもう全滅なんですかねー。
マジかー。現像出すの恥ずかしいなーとか思ったけど、2枚以外は大丈夫だった。
写真は、その時、感光させてしまった三好焼菓子店。
フィルムって、銀粒子の化学反応を利用して作られていて、その反応が”サビ”っぽい感じがします。
その粒子が有機的な丸みをある組織で構成されている感じがして、肉眼でははっきりと識別できないはずなのに、それが感じられる人間の目ってすごいなと思うし、自然界に角ばった正方形で構成されたものなんてないわけで、だから、違いが感じられるのかもしれません。
世の中、結局、突き詰めると全て粒子の話になるような気がします。
#yomogiya #日記 #contax #contaxt #三好焼菓子店 #焼菓子は粒子
ただ好きなものを語りたいという記事。
前回続きになります。
AFは使えない。不便とは言わないけど、便利と思う機能はない。
重たい。正直、重い。
フルサイズのミラーレスが充実した今となっては、小さくもなく、割とでかい。
でも、この悪いところがすべて愛おしいです。
Leicaのファインダーは、簡単に言うと”写ルンです”みたいに、本体に小窓がついていて、そこを覗いて撮影します。なので、装着したレンズを通して見てるわけではなく、ただの窓を覗いて撮影します。
(それに対して、一眼レフカメラはカメラの中心に覗くところがあって、鏡を使ってうまいことレンズを通して撮影します。なので、望遠レンズを装着すれば拡大して見えるし、広角をつければ広く見えます。)
”写ルンです”との違いは、2つあって、ブラストフレームと距離計です。
ブラストフレームは、つけるレンズによってこれくらいの範囲が映りますよ。っていう枠のこと。
ファインダーの中に白い枠が出てきます。(装着するレンズによって切り替わる)
このブラストフレームのいいとこは、見えている範囲の中でどこを切り取るのか。というのを楽しめるところです。あと、レンズを変えなくても、画角の確認ができるのも少し便利。
距離計は、ピントを合わせる機能です。
一眼レフは、自分の目で見て、ピントを合わせますが、レジファインダーは、ファインダーを覗く中央に小窓のような四角いエリアがあって、その中に2つの景色が写っていて、その2つが重なったところにピントがあう仕組みになっています。
M型Leicaと一眼の比較の文章で、よく「M型Leicaの方が、ピントの精度が高い」と書いてあって、「いや、そんなわけないだろ」と思っていたのですが、使っているとこの2重像の仕組みの方が精度が高いと言うことがよくわかります。
これは、ミラーレスのピーキングみたいな感じです。
一眼だとファインダーを覗いて視力だけでピントがあっているかどうかは正直わからない。
例えば、りんごの手前の部分にバシッと合わせられるかというと難しいというか、感覚的な話でしかなくて、正確とは言えない。だから、ピーキングとかAFのピッピを頼りにピントを合わせていました。
でも、レジファインダーだとこれが2重像でぴったりどこにピントを合わせるか調整できるんです。斜めのものとかにピントを合わせるとよくわかるのですが、もう点で合わせるくらいの精度です。
AFやピーキングでやってたことが全部マニュアルでできるのだから、最高に楽しい。
そして、この2つの仕組みを電気制御ではなく、機械的な機構で実現しているというすごさ。
機種にもよるけど、M9-Pのボディは真鍮の塊から削り出しで作って、それに黒いペンキを塗ってあります。
これを使い込んでいくと、擦れて下地の真鍮が出てくるんです。
使い手の癖がそこに表れる。使い込むほどに、美しく変化していくんだから素晴らしい。
M3のころは、単純にいい素材として真鍮を選んだのだと思います。
ですが、今となっては、他に丈夫で軽くて、安い素材はたくさんある中、あえて、真鍮を採用するところがLEICAという会社のすごいところだと思います。
シャッター音とか、底蓋の仕組みとか、センサーとか
他にもあるけど、長くなりすぎるのでまたの機会にします。
カメラに限らず、常に何かを買うときは、それが、自分にとって最高であり、これがゴールだと思って買っています。
しかし、残念ながら、それがゴールにいたることはほとんどなく、新しい道を見つけ彷徨うのです。
性格的に、一つを試して、もうこれでいいと満足するタイプではなく、他のものも試したくなる。 他のものを使ってみないと良さがわからない。自分に合っているか、そして、”良いものとは”というものが見えてこないと思うのです。
なので、失敗ではなく、大切なプロセスでだと自分に言い聞かせております。
しかし、今、限りなくゴールに近いものが手元にあるという実感があります。
2019年3月に手に入れ、1年くらい経ちましたが、この感じは、衰えるどころか、強まる一方です。
それがLeica M9-Pです。
ここでは、これに至るまでにルートを書いています。
結果的に、これは”常に持ち歩ける本気カメラ”を探す道のりです。
今、思うと幼い頃からカメラはとても身近にありました。
祖父はかなりカメラにハマっており、祖父の家には暗室があり、カラーも自分で現像していたそうです。
お正月にはでかい中判のカメラとでっかいストロボで集合写真を撮るのが、お決まりでした。
ですが、ぼく自身はカメラに全く興味はなく、子供が産まれるまでカメラを自分で買ったことはありません。
まさか、こんなにハマるとは。。。
子供が産まれたことをキッカケにカメラを買います。
まさにカメラお父さんです。
購入したのは、CANON 50D。APS-Cサイズの一眼レフ。
ダカフェ日記さんに憧れて、SIGMAの単焦点35mmF1.4との組み合わせで使っていました。
<Sigma 30mm f/1.4 EX DC HSMで撮影した写真>
すごくキレイにボケて、嬉しくたまらなかった。写真を撮りまくってました。
ただ途中からボカしすぎて、よくわからないと感じるようになって、開放では使わなくなっていきました。
祖父が持っていた2470F2.8Lが手に入り、2470がメインになりました。ただし、でかい。
(じーちゃんありがとう)
「あ、今日、カメラ持ってない」という場面に遭遇するようになり、常にカメラを持ち歩きたくなります。
でも、一眼はデカすぎる。かばんに入らん(重いからやだ)
ということで、カバンに入る小さなカメラが必要だという発想になります。
カバンに入るカメラがほしい。
ということで、一眼とは別にfujifilm X70を購入し、常にカバンにx70。本気の時は一眼という体制になります。
X70は、ズームできない。手ぶれ補正なし。
でも、見た目も好き。たまらない。サイズもちょうどいい。
その時のブログ
x70もすごくいいけど、いつも写真を撮るときに、50Dならもっとキレイに撮れるかもしれない。。。と考えてしまいます。
なので、サブカメラという発想は肌に合わず、常に持ち歩ける本気の1台が欲しいんだと気付きました。
そして、持っていたカメラを全て売却してフルサイズミラーレスα7sにします。
αシリーズの中で、高感度のSを選んだのは高画素化が進むなか、あえて、1画素を大きくして、より多くの上質な光を取り込もうというアプローチに惹かれたからです。画総数では圧倒的に劣るのだけど、数値化できない、感覚的なところで魅力を感じました。
「いつか買うなら、今買ったほうがいい」
α7sになんの不満もなかったのですが、SALVAGEYARDの展示に来てくれたカメラマンの彼がLeica M(type262)を持っていて、「いいなー。いつかはLeicaほしいと思ってるんだー」と話した時の彼の返しが、「いつか買うなら、今買ったほうがいいと思って買っちゃいました。」と
なにそれ、かっこよすぎでしょ(笑)
それから、一気にLeicaが気になりだして、もう止まりません。
Leica のことは当然知ってたけど、詳しいことはわからない。レジファインダーのことも知らなかったし、実際にいくらくらいするのかも知らない。でも、めちゃくちゃほしい。とにかくほしい。
常に持ち歩きたい本気カメラの正解がここにあったんだと。
それから、いろいろ調べて、動画が撮れるtype262もほしい。めっちゃ高いけど、いっそ48回払いでM10を買うか。でも、KocakのCCDセンサーってすごくね。M8は買いやすいけど、センサーサイズが微妙だし、UV/IRフィルター必須は結構辛い。じゃ、M9だなと。するとM9にはセンサー剥離問題があって、中古で買うリスクが高い。
なんやかんや悩んだで、息子の入学式のためにも買わなくてはいけないと無理くりな理由を生み出し、Leica M9-Pを購入。
ちなみにM9は、結果的にセンサー剥離が発生。ドイツ行きとなりました。でも、その分、新品で買ったようなものだと思って、末長く使いたいと思っています。
今でも、いきなり、フルサイズのカメラを買うことは心理的に難しいと思います。ですが、初めて買った一眼が4万円くらいからはじまって、売っては買いを繰り返していくうちに、だんだん金銭感覚がおかしくなり、今に至ります。