「叱る」ってむずい。

「叱る」ってむずい。

叱るは良くない。パワハラだ。時代遅れだ。
一方で、「叱る=愛」という美学もある。
こんなに場面で都合よく、善悪が変わる言葉も珍しいのではないか。

特に、職人の世界では、「叱る」に対して寛容で、むしろ、良しとする価値観がある。

正直、ぼくは「叱る」は苦手です。
ただ、「叱れない」と「叱らない」は違う。

職人として、大人として、親として、「叱る」に向き合おうと思って、手にした一冊。
とてもよかったので、シェアしたいと思いました。

「叱る」に学びなんてない。しかし、叱る側には快感があり、構造的にも依存する危険があると本書は指摘する。
ただ、「叱る人を叱る」のも間違いであるというスタンスで書かれた本書は、理論的に、データをもとに「叱る」の本質を教えてくれる。

「叱るに意味はない」というのは、わかる。とてもわかる。
しかし、「でも、、、」と反論したくなる自分がいる。

たぶん、多くの人がそうだと思う。

そこには、苦痛神話があるようです。
苦痛が人を育てる。
苦労、痛み、苦しみがないと人が成長しない。
苦しみが人を育てんだ。
という価値観。

さらに、そこに、苦しみを乗り越えてきたから、今の自分があるという自己肯定感であったり、
そうやって、育ててきた、育ったという成功体験が絡み合って、
「苦しみ=必要悪」が出来上がっている。

さらに、罰を与えることで、反省させる。人を変えるという価値観もある。
その罰は、本当にその人に向けられたものなのだろうか。
見せしめとしての罰なのではないか。
もしかしたら、罰を与えることで、気持ちよくなっているだけなんじゃないか。

「叱る」は奥が深い。

”誰かを「叱る」可能性のある、すべての人のための本です。”
から、はじまる本書は、ぜひ、「叱る」可能性があるみんなに読んでほしい。

叱るを賛美するでもなく、一方的に否定するわけでもなく、正しい理解と見つめ直すきっかけを与えてくれました。

ちなみに、電子書籍で買ってしまったから貸すことができない。
でも、貸すことができないって、著作権的に正しいのかもしれないというジレンマを感じました。


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